サバの塩焼き弁当

※ネコノヒゲの思い出小話です。

 



 

毎年、お盆と正月には、母の実家に一家全員で泊りがけが慣習の我が家。

 

移動手段は電車だったり車だったり(距離的に飛行機はなかった)。

 

子供心に毎回プチ旅行気分満喫。

 

 

うちは初孫123揃い踏みだから、いつも兄弟揃って王子様お姫様扱い。

 

ばあちゃんは料理上手。

 

普段は禁止のお菓子もジュースも、ここではケース一杯・大袋山盛り。

 

「これ、全部食べてもいいの!?」

 

「みんな、あんた達のだよ。食べきれなかったら持って帰りな」

 

ばあちゃん、目を見張る孫共にニコニコ。

 

「全部俺が買ってきたんだ」

 

じいちゃん鼻高々。

 

ちゃきちゃきのばあちゃんと、大酒飲みで、短気で口は悪いけど、実は優しいじいちゃん。

 

「二人とも、普段は喧嘩しまくってる癖に、こんな時ばっかり行動が揃うんだから」

 

と、父母呆れ顔。

 

 

暇を持て余したら、近所のおもちゃ屋で豪遊。

 

夜更ししたって、走り回ったって怒られない。

 

子供にとって、これ以上のパラダイスは望めない。

 

 

けれど。

 

高校1年の時、じいちゃんが入院した。

 

原因の大元は酒の飲み過ぎ。

 

前から家でも散々言われてたんだろう。

 

見舞いに行った枕元で、この時とばかりに先生の威を借りてばあちゃん説教しまくるから、

 

「うるさい!うるさい!」

 

と、じいちゃん布団かぶって顔出さない。

 

 

でも、次に行った時は、また家にいた時の通り。

 

「おう、来たか。そこらに菓子があるから食べて行け」

 

とぶっきらぼうに、でも口の端がちょっと上がってて。

 

「あんた達が来るからって、さっきまで髪とかしたり顔拭いたりしてたんだよ」

 

「じいちゃん洒落者だからな」

 

と、病室の外でこそこそばあちゃんと話して笑ってた。

 

 

じいちゃん、だんだん小さくなって、最後まで強情っぱりで口が悪くて。

 

なのに本当はものすごい人が好い。

 

「どうせ死んだら使わない体なんだから」

 

って、最後にさらりと献体して逝った。

 

だから、葬式の棺桶には、実はじいちゃんは入っていなかった。

 

……とても不思議な気分の葬式だった。

 

 

ばあちゃん、その後仏壇守って一人で家に住み続けたけど。

 

1年後、今度はばあちゃんが入院した。

 

 

お見舞いに行ったのは、じいちゃんの時と同じ病院。

 

ただ、今度は、叔父さんと叔母さんが枕元にいた。

 

ばあちゃんの大きさ、じいちゃんの枕元で説教していた時の、半分くらいになってた。

 

行く途中、かーちゃんから「胃がんで、胃の2/3切除した」と聞いていた。

 

 

ばあちゃんと色々話すうち、かーちゃんと叔父さんと叔母さん3人とも、いつの間にか病室を出ていた。

 

何か相談でもあるのだろう。

 

 

話が途切れた時、ふと、ばあちゃんが、皮ばっかりになった腕を持ち上げ、少し離れた小机を指した。

 

 

「……あそこに、弁当があるだろ?」

 

見ると、確かに折詰になった弁当が1つ、ぽつんと乗っかっている。

 

「うん、ある」

 

「あれをな、ここで……ばあちゃんの前で食べてくれんかな?」

 

 

突然の依頼。

 

意味を掴み損ねて、ちょっと考えてしまった。

 

なぜ、今この病室で、中途半端な時間に、弁当?

 

 

ばあちゃんは躊躇を察したようだった。

 

ちょっとにっこりしながら、優しく、か細く続けた。

 

「あのな、ばあちゃん、胃が大分なくなってしまったからな。

 

 もう長いこと、ご飯食べさせてもらってないんだよ。

 

 先生がダメだって、ずっと点滴だけなんだよ。

 

 ……それ知ってるからな。

 

 皆、気ぃ遣って、誰もばあちゃんの前でご飯食べてくれないんだわ。

 

 だから、おまえが食べてるところが見たいんだよ。

 

 ……で、どんな味なのか聞かせてくれんかな……」

 

 

穏やかな中にも、すがるような、必死な眼差し。

 

目が合ったあの瞬間になだれ込んできた、怒涛のような感情を、どう表したらいいんだろう。

 

 

何というか……この時、伝わってきた。

 

なぜ、いつも盆と正月にご馳走攻めにしてくれるのか。

 

食べきれない量のお菓子を用意してくれるのか。

 

 

ばあちゃんが、喧嘩相手のじいちゃんを、どれだけ大切に思っていたのか。

 

ご飯を用意する相手がいなくなったことが、どれだけ気力を失わせたのか。

 

 

「食べる」という行為は、「生きる」ことそのもの。

 

人がものを「食べる」姿は、1つの命が他の命を「頂く」神聖な儀式であり。

 

他の尊い命を「頂く」から、私達は「いただきます」と言う。

 

「食べる」ことで、命は活力を得、輝き、先に進む。

 

ばあちゃんは、言葉でなく食事を通して。

 

皆に「元気に、強く生きて行け」と伝え続けてくれていたんだ。

 

 

……だから逆に。

 

「食べることを禁じられた」現状は、ばあちゃんにとって「これ以上もう生きるな」と宣言されたも同然なんだ。

 

「食べたい」と思うことは……「生きたい」と思うこと。

 

ばあちゃんは……もっともっと生きたいんだ……。

 

 

「ご飯の実況中継?ちょうどお腹すいてきたとこだったし、嬉しいな」

 

伝わってきたこと、まるごと全部飲み込んで、なんでもない事頼まれた感じで弁当を取りに行き、枕元に椅子を引き寄せて蓋を開けた。

 

なんてことない、ごく普通のサバの塩焼き弁当。

 

割り箸を割って、

 

「いっただっきまーす」
「……何が入ってる?」

 

「んー、ご飯と、サバと、卵焼き。あと、きんぴらがちょっとと……緑色の漬物?」

 

「市販のお弁当は、野菜が足らんねー」

 

「サバは、塩焼き」

 

「塩加減、どうだね」

 

「ちょっとしょっぱい」

 

「卵は?」

 

「甘め。ばあちゃんの卵焼きの方が、断然美味しい。あっちのが好き」

 

「そうかね、そうかね。」

 

 

努めて通常通り、もりもり食べる。

 

ちら見したら、ばあちゃんは、目を細めてニコニコしてる。

 

一瞬だけ、ツバを飲み込みながら。

 

 

「美味しいかね?」

 

……ああ、いつもの笑顔だ。

 

親戚が勢揃いして食卓を囲む時に見せてくれる、優しい目だ。

 

「美味しいよ。サバ好きだし。骨多いけど」

 

嘘だ。

 

美味しくなんかない。

 

ばあちゃんが一緒に食べられないご飯なんか、美味しい訳がない。

 

でも、食べ続けた。

 

「ばあちゃんも、早く病院出て、また卵焼き作ってよ」

 

「そうだな、早く良くならんとな」

 

「絶対だよ。約束だよ」

 

 

……そんなに悲しそうに笑わないでよ。

 

あんなにたくさん食べさせてくれたばあちゃんに、今返せることが。

 

「食べられないばあちゃんの前で、美味しそうにご飯を食べること」しかないなんて、酷だ。

 

 

と、病室のドアが開いて、3人が戻ってきた。

 

……途端、

 

「おい!!何やってるんだ!!

 

 ばあちゃん胃の手術して、ご飯食べられないのに、目の前で弁当なんか……」

 

と、叔父さんに、ものすごい剣幕で怒鳴りつけられた。

 

ナイスタイミング。

 

「今、食べ終わったところだし。ごちそうさま。お腹一杯」

 

と席を立って、悠々と空の弁当箱を置き。

 

病室を出た。

 

「何を考えているんだあいつは!人の気持ちも知らずに……」

 

「いいんだよ、あたしが頼んだんだよ、ここでお弁当食べてくれって……」

 

怒り狂っている叔父さんを、ばあちゃんがとりなしている声が、ドアを閉める直前に聞こえた。

 

 

病室を少し離れてから、廊下を走った。

 

走れるだけ走った。

 

向かいから来た看護師さん達の静止も吹っ飛ばして。

 

 

 

この後、次に叔父さん達と会ったのは、ばあちゃんの葬儀だった。

 

でも、弁当の経緯については、誰も触れなかった。

 

だから、二人ともまだ、弁当のこと怒っているかもしれない。

 

けど、今もあの時の事について、言い訳も説明もする気もない。

 

多分一生。

 

 

あれから随分時間は流れても。

 

サバの塩焼き弁当を見るたび、ばあちゃんに「ごはん、美味しいかね?」と微笑まれている気がする。

 



 


 
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