無限の天才 −夭折の数学者・ラマヌジャン−

 

原題=“THE MAN WHO KNEW INFINITY”

 

発行日=1994年9月10日

 

著者=ロバート・カニーゲル(Robert Kanigel)

 

翻訳=田中康夫

 

発行=工作舎

 

582頁

 

 



 

何かを成し遂げた偉人について語る時、私達は、2通りの視点から選択する必要にかられます。

 

「業績そのものについて」か、「業績を生んだ背景」か。

 

 

この書籍は、主に後者の「背景」がメイン……つまり生い立ちや経緯の方です。

 

お互いの人生に深く関わった、国籍の違う偉大な数学者2人の生涯が、サイエンス・ライターの綿密な取材と調査に基づき、所々数式も交えながら細部に渡って綴られています。

 

 

余りにも有名な数学者、インドのシュリーニヴァーサ・ラマヌジャン(Srinivasa Ramanujan)。

 

そして、彼と密接な関わりを持った、イギリスのゴッドフレイ・ハロルド・ハーディ(Godfrey Harold Hardy )。

 

読み進めるにつれ、彼らが生まれ育った国柄・家族関係・周囲の環境・宗教・時代背景等が、よく伝わってまいります。

 

 

※これ、ドキュメンタリー番組とか映画に仕上げても面白いのでは?

 

……と思いましたら、既にラマヌジャンの故郷インドでは、3本程作られているようです。

 

※《追悼》

 

ラマヌジャンをモデルに製作されたとも言われる「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち(1997年アメリカ)」。

 

2014年8月11日(アメリカ時間)、出演者ロビン・ウィリアムズ氏(心理学者 ショーン・マグワイア役)の訃報が飛び込んできました。

 

心よりご冥福をお祈りいたします。

 

 

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ラマヌジャンとハーディ

※ここから先はネタバレしております。(有名な偉人ですので……)
 念のためご注意ください。

 

 

 

 

ネコノヒゲが、ラマヌジャンの背景について事前に知っていたことを時系列順に挙げると、

 

 

・インド生まれ

 

・インドの神様の敬虔な信者

 

・地元で天才ともてはやされるが、好きな数学にかまけて落第

 

・長期間不遇の年月を過ごす(≒ニート期間?)

 

・イギリスの数学者ハーディに才能が認められる

 

・数学界を驚かす論文が次々発表される

 

・第一次世界大戦が宗教上の菜食主義に影響し、栄養不足に

 

・結核になる

 

・自殺未遂をする

 

・インドに戻った頃には陰気な性格に変わっていた

 

・32歳で病死

 

 

この生涯の中で、

 

●……数々の数式(まだ証明できていないもの含)が、いつ、どのような経緯で生まれてきたのか?

 

●……ハーディとの出会いの意味とは?

 

という疑問を、外堀から徹底的に探っています。

 

「公式・定理には興味あるけど、編み出した本人の人格には特に興味ない」というハーディタイプの方には、あまり向かない構成の書籍かもしれませんが、「この天才が、膨大な公式を編み出した環境」が気になる方には、満足いく構成かと思います。

 

(……でも「結局どうなの?」的な消化不良を起こす可能性も())

 

 

巻末には、ラマヌジャンとハーディの年譜・マドラスとケンブリッジの周辺地図・人物相関図・参考文献・人名検索が掲載されています。

 

(登場人物多いので、人名検索はとても有難いです。マハラノビスなどもちらっと顔を出したり、登場人物だけでもそうそうたる面子)

 

 

この書籍を拝読して感じたことは、余りにも多かったです。

 

傑出した才能を持つ者が、十分な教育を受ける環境にないことは、世界規模での知的損失につながりかねない、とか。

 

「嫁姑問題は、想定以上に士気を下げる」とか(彼の生涯に出てくるのは予想外でしたが、確かに深刻な問題です)。

 

しかしそれ以上にまず考えさせられたことは……膨大な「もしも=if」。

 

 

もしも、ラマヌジャンが生まれたのがインドでなかったら?

 

バラモン階級でなかったら?

 

母親がコーラマンタルでなかったら?

 

結婚していなかったら?

 

ナマギーリ女神を信仰せず、菜食主義でなかったら?

 

もっと早く、ジョージ・シューブリッジ・カーの「要覧」を手にしていたら?

 

もっと早く、既存の公式・定理を取得し、証明方法で発信できる手立てを身につけていたら?

 

第一次世界大戦が勃発しなかったら?

 

 

そして……ネコノヒゲが殊の外思ったこと。

 

「もしもラマヌジャンが、ハーディとしてこの世に生を受けていたら?」。

 



 

貧しい環境に生まれながら「パブリック・スクールの申し子」と呼ばれ、王立協会のフェローとなった、ハーディ。

 

でも、貧しいとは言え、ラマヌジャンよりも遥かに恵まれた勉強環境であったのは確かなのです。

 

同じ環境を、ラマヌジャンが得ていたとしたら……現代の数学界はもっと様相が違っていたかも。

 

 

挙げればきりがない「もしも」は、しかしどれも「もしも」でなかったからこそ、稀代の天才が世に出た条件だったと思わざるを得ません。

 

ラマヌジャンが不遇の時代、オリジナルのノートに織り成した数式は、残念ながら半分は既に数学者の間で広く認知されていたものでした。(貧しくて紙が買えず、余白や裏側までびっしり書き込まれているノート)

 

しかし、その他は独特で難解な手法ながら数学者達を驚かせるレベルであり、まだ現在も証明がなされていない公式もある。

 

……所謂「玉石混交」の状態。

 

でもこの時期、彼に「もしも」過去に発表された数式・定理を知る環境にあったとしたら。

 

「もしも」手順を踏む「証明」で論文作成方法を学んでいたとしたら。

 

海外の学校で教育を受けた者達との間に出来た大きなブランクにショックを受けることもなく、また、既存の数式・定理の証明に費やした時間は、独自の数式の解明に使えたのでしょうか。

 

……決してそうばかりではないはず。

 

 

外部からの知識流入が極端に少ない環境の中、既存の定理と同じ結論を導き出す非凡さがなければ、形式にとらわれず、自由な観点で独創的なを編み出すこともなかったのかもしれません。

 

 

もうひとつは、……ラマヌジャンの人生の中で、+の波と-の波が極端なこと。

 

 

例に出すと、彼がインドを離れ、イギリスに渡った事実。

 

渡英したからこそラマヌジャンの才能は引き出され、逆に、相容れないイギリスの生活環境に、(全ての原因ではないにしろ)身体を壊してしまう要因があった。

 

自由さ故にオリジナルの方法で数式を編み、その自由さ故に認知される機会を長く失した。

 

選択肢の中には常に+と−が潜んでいますが、それがラマヌジャンを時に高みに導き、時に地に打ちのめす。

 

その振り幅が余りに大きく、身体・精神にかかる負担が余りにも大きかったのでは……。

 

湖の漣ではなく、岩場に叩きつける荒波のように。

 

 

 

人は誰一人、意味なく生まれた方はいないと、ネコノヒゲは思っている派です。

 

しかし、ラマヌジャンとハーディが世に降り立った時、周囲よりも重い使命を担ってきた、とも感じます。

 

生まれ育った環境も性格も真反対であったろう2人。

 

けれど、真反対だからこそ形成できた「力」があったのではないか……と想像して止みません。

 


 
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